ユンカースJu187は第二次大戦中にドイツが計画した地上攻撃機。著名なユンカースJu87<シュツーカ>の後継機として提案されていた。
緒戦でJu87Bが活躍しているが、ドイツ空軍はすでにこれを旧式機と見なしていた。後継として双発のメッサーシュミットMe210に期待が向けられたものの、完成したらこれが大変な欠陥機だった。Bf110の動力強化型として発注されたにもかかわらず、メッサーシュミット教授が勝手に仕様を大幅変更した結果だったらしい(このため、教授は指導的地位を失ったとされる)。
1941年秋、ドイツ空軍は急遽つなぎとしてJu87Dを大量発注する。一方、ユンカース社は1940年末にユモ213エンジンを搭載したJu87Fを提案していた。主翼や主脚の変更を含む計画だったが、予測性能は今ひとつだったため却下された。
それならば、という訳ではなかろうが、Ju187はかなり異なる機体として計画されている。全体のデザインはどことなくイリューシンIl-2<シュツルモビク>に似ている。エンジンは1776馬力のユモ213Aとされ、主脚は引き込み脚となった。
複座のキャノピーの後方には遠隔操作式の銃塔が設けられ、なぜかMG151(15mm)とMG131(13mm)が1挺ずつ装備されている。
主翼には20mm機関砲2門が設けられ、翼下には250kg爆弾4発やガンパック、ロケット弾を装備することとなっていた。また、胴体下には1000kg爆弾が搭載できた。
特筆すべきは、機体尾部を回転できるよう計画されていた点だろう(明記されていない資料もあるので、『そんな案もあった』ということかもしれない)。尾翼ごと尾部がぐるりとまわり、垂直尾翼が下を向く。これで背部銃塔は撃ち放題、ということらしい。…尾部の回転中はどうやって機体を安定させるつもりだったのだろう。
とまあずいぶん野心的な設計にも関わらず、予測される最高速度は400km/hとJu87Dをわずかに上回る程度だった。このため、1943年秋にはあっさりキャンセルされている。
この後の流れを考えると結局、複座の対地攻撃専用機というジャンルそのものが意義を失いつつあったのだろう。だが、歴史の中にある者たちにそれはわからない。彼らを突き動かすのは昨日の失敗と一昨日の栄光。その栄光を蘇らせようして当然だ。私を含め、今という時代を生きる者もまた、同じ過ちに陥っているのかも知れない。人に先んじてそれに気付く者は賢人と呼ばれるだろうが、いつの時代も凡庸な人のほうが多いに決まっている。まこと、歴史から学ぶのは難しい。
などと偉そうなことをつぶやきながら、今日も最終プログラム(ビリーバンド使用)。実は昨日から、ビリーバンドを一回足に巻いて短めに調節して試している。負荷を増やして効率アップ? いや、そんな策を弄するよりも頻度をあげたほうがいいんじゃないか?(自己ツッコミ)
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