「アイビーは、永遠に眠らない―石津謙介の知られざる功績」を読んでの感想、というか。
いわゆるアイビーファッション、そしてその主役メーカーだったVANの中心人物であった石津氏の評伝だった訳だが、正直「鼻持ちならん」と感じた。
著者は石津氏が男性ファッションを商業化し、日本に文化として定着させた旨を繰り返し記述している。それはたしかにそうだったかもな、と第3次アイビーブームに乗り損ねた私としては謙虚に受け入れるしかない。
だがその功績・影響がアイビーブームやVANにとどまるものではなかったと強調したいがためか、それらがあくまで石津氏の方便だったと言わんがばかりの記述が目立つ。ある意味それは、アイビー創始者自らがアイビーを否定していたと言わんがばかりではないか、と私の目には映る。なるほど著者は石津氏と親交深く、そう言えるだけの積み重ねを有しているのだろう。だがそうなら、「アイビーは、永遠に眠らない」というタイトルはなんなのだ。アイビーへの拘りを「思考停止」と批判するなら、そのタイトルは不適切にすぎないか?
などと憤りを感じるのは、やはり私と彼らが違う時を過ごしてきたからだろう。彼らにとってはアイビーは過去なのであろう。過ぎ去った、しかし自らと分かちがたく結びついている時代。彼らがそれらを美しく語り、同時に切り捨てるのは当然のことかもしれない。
たとえば、ネット88やクレギオン#1に参加し、その後もなんらかの結びつきをそれらの中心人物(有坂先生とか野尻先生とか)と持っていた人々もまた、ネットゲーム(なりネットワークRPGなりPBMなり)についてこの本の著者と同じように語るだろう。そしてそれは、今エルスウェアなりなんなりのゲームに参加している者たちからは、ひどく疎ましい言葉に感じられるだろう。同じ(ないし極めて近い)事柄に心を引かれている者どうしであるにも関わらず。
なるほど人は、時代から自由ではいられないものだ、などとこの歳になってようやくに思う。
こっちはまだまだ終わってないっす。過去形では語れませんなあ。
投稿情報: まなせ | 2007-11-18 20:04