Me263はドイツのロケット戦闘機。残念ながら試作にとどまった。
量産されたロケット戦闘機Me163B<コメット>の航続時間はわずか8分で、実用上大きなネックとなっていた。そこでどういう訳か、二つの改良プランが並行して進められる。一つはMe163C、もう一つがMe163Dだ。
前者はヴォルデマー・フォイクト博士らによるもので、降着装置はあいかわらずスキッドのままだった。対して、後者は一般機と同様の引き込み脚を有する。
両機はともに、燃費を改善したHWK19/509Cエンジンを搭載し、後方視界の良い涙滴型キャノピーを有していた。また、いずれも胴体の全長は延ばされ、主翼も大型化していた。
だがなぜか、両機の共通点はひどく少ない。少なくとも外見上、同じなのは垂直尾翼ぐらいだ。
Me163Dは1944年5月、原型1号機のテスト飛行後、ユンカース社に開発権が移される。名前もJu248と改まった。担当はヘルテル技師だった。ヘルテル技師は一部を再設計しているが、小規模にとどまったと推測される。というのも、Ju248としての完成は1944年8月であり、Me163Dの初飛行から3ヶ月しか要していないからだ。
Ju248は9月には動力飛行テストを実施し、Me163Bと同等の速度と最大15分の航続時間が確認された。空軍省は量産を指示するが、同時にMe263への改名も指示した。もともとはメッサーシュミット社で開発していたから、という理由らしい。
緊急生産のかけ声もむなしく、負け戦の中Me263の量産型は1機も完成しなかった。一方、Me163Cのほうは、Me163Dのほうが有望と見られたため原型3機の開発のみにとどまっている。
負け戦の混乱がこのようなぐだぐだを生んだのか、それとも、こんなところでもぐだぐだしているようなドイツだから負けたのか。どちらかと言えば後者だったのではないかと感じるのは、私が組織や人に対して偏見を抱いているからなのだろうか。
ならばこそ、自分一人のことならしっかりやらねば筋が通らないわな。という訳で、今日は応用プログラム。始めてからもう14ヶ月ほどだというのに、あいかわらずこいつは辛い。だが20日までに鍛えてMe263よろしく航続時間を延ばさないと、以前みたいにぶったおれちまうしな。
ロケット機同様、無駄なあがきかもしれないけど。
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