紀元前286年は宋が滅びた年。
優勢な敵(楚)が渡河に伴う混乱に陥ったところを討とうと提案した宰相に、宋の王たる襄公は「君子は人が困っているとき、さらに苦しめるようなことはしないものだ」として献策を退けた。
その後当然ながら敵軍は体制を整え、宋の軍勢を打ち破った。分不相応な情けを「宋襄の仁」と呼ぶのは、この故事による。
なおこの戦いは紀元前638年だそうだから、スカな王様がいたからといってすぐに滅びたわけではなかったようだ。
てな訳で今日は最終プログラム。わしもタワケな割には妙なところで名分にこだわったりするから、襄公とそんなにかわらんかもしれん。できれば、滅びるまでに時間が与えられますように。
当時はまだ周室を頂点とする封建制が曲りなりにも生きている春秋時代ですから、戦闘のあり方も儀礼的なルールによって大きく規定されていたのではないか、とする考えもあります。
もしそうだとしたら、軍事合理性がものを言うようになる戦国時代以降の人間には儀礼的戦争などもう理解できませんから、いつしか「宋襄の仁」という愚行のレッテルで説明するようになったのでしょう。
投稿情報: ばべる | 2008-04-26 20:01
敵対した政権、倒した政権については悪いイメージばかりを強調するってパターンですね。
現代日本人も戦前や江戸幕府について正しく評価できているのかあやしい部分はあるし。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2008-04-27 06:57