紀元前341年、馬陵の地において斉軍が魏軍に大勝した。世に言う馬陵の戦いである。
斉の軍師孫臏は、かつて魏の龐涓の策略にはまり、両足を切断され、さらに顔面に刺青を施される刑に処せられていた。
孫臏は魏への侵攻部隊に欺瞞工作をうたせ、あたかもモラル崩壊のため後退を余儀なくされているかのように装った。魏の龐涓はこれを好機と見て、強行軍にて斉軍を追撃した。
孫臏はその進軍スピードから、夕刻に魏軍が馬陵に到達すると予測した。彼は一本の木の表面を削らせ、そこに筆で「龐涓此の樹下に死せん」と記す。
続いて部隊を馬陵周囲に潜ませ、暗がりに灯がともったら矢で狙い撃つよう命じた。
その夜馬陵に達した魏軍は木に描かれた文字をいぶかしみ、灯りを付け確認しようとした。斉軍は一世に矢を放ち、魏軍に多大な損害を与え、混乱に陥れる。そして、龐涓もその中で絶命した。
この瞬間、孫臏の復讐は見事に成った。
私が漢文の教科書でこの話を読んだ頃は、この孫臏がいわゆる「孫子の兵法」の作者だと教えられた気がする。最近では孫臏の先祖である孫武が「兵法」の作者で、孫臏の記した「兵法」はまた別の書であったとされているようだ。
それにしても、見事な復讐劇だ。こんな凄まじい話は、ポルナレフと花京院が両右手の男を葬ったくだりぐらいしか知らない。…って、バカまるだしだね。
てな訳で夕方は最終プログラム。
復讐は大きなエネルギーとなるけど、それにとらわれると恐ろしい。孫臏もこの後の歴史にはほとんど出てこないみたいだし。
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