375年は王猛の没年。前秦の苻堅に仕えた。
苻堅は王猛を「劉備にとっての諸葛亮孔明のようなもの」とまで評価し、重用したという。
内政充実に尽力しながら、その一方で中国北部を統一するなど軍事面でも成功を収めている。
彼は死に瀕した際、東晋を攻めぬよう苻堅に言い残した。だが苻堅はこれに背き、7年後に東晋に戦いを挑む。そこでの大敗が契機となり、前秦は滅んだという。
王猛のように優れた人材を得られたのだから、苻堅もそれなりに徳のある王だったのだろう。長く王猛の忠誠を得たのだから、彼から多くを学んだに違いない。それでも、苻堅は王猛にはなれなかった。なんとも悲しい話だ。
などと思いつつ、今日は最終プログラム。それを考えりゃ、わしがビリーみたいなムキムキになれないのはまあ、当たり前ってことだよなあ。
今川義元と太原雪斎の関係に似てますよね。
ただし淝水は桶狭間ではなく東軍が敗れた関が原。
投稿情報: ばべる | 2008-09-13 09:56