383年、東晋の軍が前秦の王たる苻堅率いる軍を破った。いわゆる淝水の戦いである。
以前ご紹介したように、苻堅の家臣だった王猛は晋を攻撃しないよう遺言した後に375年に死去した。だが苻堅はこれに従わず、378年より襄陽に攻撃、翌年にはこれを奪取した。この際、捕虜とした朱序を苻堅は採用した。
383年、苻堅は大軍を組織し、東晋を討つべく出陣した。この際、苻堅は自軍の兵力を過信し、「我が軍の兵が馬の鞭を河に投げ込むだけで、流れを堰き止められる」と言いはなったという。
淝水を挟んで両軍は対峙する。前秦は降伏勧告の死者として朱序を送る。だが彼は裏切り、むしろ東晋に進言した。
前秦はわずかに後退して東晋の渡河を誘い、その中途を叩こうとする。しかしその意図は末端まで伝わっておらず、おまけに朱序が「負けた」「退却だ」と叫んで混乱を助長した。多民族で編成されていた前秦の軍勢はここで総崩れとなり、襲いかかってきた東晋の軍に甚だしく叩かれた。
苻堅はかろうじて逃げ延びたが、この敗戦をきっかけに統制力を失う。
渡河途中で戦闘力を十全に発揮できないところを叩こうとした前秦軍の判断には一理ある。だが、いったん動き出した大軍勢を適切なタイミングで変針させることの困難および危険性につき、苻堅の認識が甘かったのかも知れない。
などと考えつつ、今日は腹筋プログラム。
恐れる気持ちや忌避する気持ちは大軍のように暴走しがちだ。それを抑え、適切なところで転進させるよう努めねば。
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