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2009-07-13

コメント

ばべる

>工業技術の水準が欧州と日本では格段の差があったのだろうか
近代工業と前近代工業というシステムの決定的な違いです。
要するに、片やB-29のあるボルトがどの機体でも全て同じ方向で固定されていたのに対し、片や部品の互換性のまったくない小銃で戦っていた、ということです。

李佑泓のベストセラー『暗愚の共和国』には、この二つのシステムの違いの事例がたくさん挙げられています。

Hi-Low-Mix

規格化や品質管理についての社会的コンセンサスの有無、ってことなんでしょうか。
だとすると、その契機となるものはなんなのでしょう。
すべてケースバイケースなのかもしれませんが。

ばべる

>その契機となるものはなんなのでしょう

1:産業社会(研究開発と改良による工業化ナレッジの継承と発展)
2:自由主義(自由競争、充分な資本と金融の発達、身分的特権の排除、自由な交通と流通)
3:大衆社会(大量生産を可能とする一定規模以上の市場)

こうですね。
これが工業社会の社会的、経済的成立条件です。
ここから分かるように、工業社会では軍事は民生の上に乗っかっているのであって、ごく初期の段階を除いて逆はあり得ません。つまり社会そのものに巨大な経済力と技術力が備わっているのでない限り、最新兵器を大規模な近代戦を戦うに足るだけ揃えるのは不可能ということです。

現在進行中の情報革命が、軍事の鉄則である「数の優位」を覆すに至れるかどうかは不明ですが、たとえそれ自体は数こそ少なくとも情報革命的兵器はとてつもない規模の兵站支援を必要としますから、当面、上の原則は変わらないでしょう。

Hi-Low-Mix

北の某国では決定的に「自由主義」が欠けているのでしょうね。
戦前の日本の場合はどうなのでしょう。
個々の技術においてはそこそこ進んでいたので「産業社会」の条件は満たしていたように思えます。
「自由主義」については、少なくとも大正期までは前進しつつあったかと思われます。政党政治が崩壊してから極端に後退したと考えるべきですかね。
「大衆社会」は、うーんどうでしょう。国民の数はそこそこありましたが、まだ工業製品の市場たり得るほどの経済力はなかったと思われますし。

ばべる

北については、三つの条件全てが欠けていると言ってよいと思います。
戦前の日本についても、上に挙げた三八式歩兵銃の互換性が示すように、特に2と3が大きく欠けていたと考えられます。
大量生産された自動車やブルドーザを必要とする大衆消費者や産業資本は存在せず、当然、それを国内で生産するための資本や設備、技術も育っていませんでした。
1の技術については軍用にのみ極めて偏重した発達を遂げており、もちろんそれ自体を指して良くないとは断定はできないのですが、満州事変、日中戦争後の国力の急速な衰退の中ではそれが民生に波及する余裕もなかったと考えられます。

>「自由主義」については
ちょっと誤解をされているかも知れませんが、「自由主義」と「民主政」の間には何の直接的関係もありません。ブルジョワ的な自由主義社会が必ず民主的な社会となる保証は、少なくとも過去の経験を見る限りどこにもないのです。
このことは歴史学では既に通説として受け入れられていますが、「実学」である政治学や経済学では(多分に、自らの政治的意図を反映して)まだまだ反対のことを唱える人は多いですね。

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