569年は、後に隋の第二代皇帝となる煬帝(楊広)の生年。
彼は兄の派手好みを利して廃立せしめ、さらに自らも廃嫡されようとすると父である文帝を暗殺して即位したと伝えられている。
また、100万人を動員して華北と江南を結ぶ大運河をわずか5ヶ月で完成させ、その運河をもって遊覧・行幸したともされる。
これらの行いから、中国史を代表する暴君の一人とされているようだ。
だが、大運河の建設は長きにわたり分裂していた中国統一に欠かせない大事業だったとの見方もある。隋を滅ぼした唐が、自らの正当性を強調するために殊更に彼を否定したとも考えられる。
人間、井戸から水を飲んでも、井戸を掘った人のことまでは考えないもんだからなあ、などと考えつつ今日はTAEBO T3 トランスフォーメーション(エクスプレス)。
行動は素早く、評価は慎重に。難しいけどね。
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