580年は北周第四代皇帝だった宣帝の没年。559年の生まれだから、わずか21歳で死去したことになる。
彼は皇太子時代から素行に問題があったようで、父である武帝は彼を杖で激しく打ち据えるなど厳しく教育したようだ。
しかし即位後は武帝時代の旧臣を次々と粛正し、宮殿の造営や酒食にばかりとらわれ、政治は皇后の父である楊堅(後に隋の初代皇帝となる)に一任していた。
皇帝の位すら、579年に息子(当時7歳)へ譲り、自らは「天元皇帝」と名乗っていたという。
万事この調子では、若くして死んだことはむしろプラスだったかもしれない。世の中にとっても、彼にとっても。
などと適当なことをぬかしながら、今日はTAEBO T3 アクセラレーション(エクスプレス)。
生まれついての資質ってのは、どうしようもないものなのかもしれないね。
でもまあ、その中であがくことからも逃れられないんだろうけど。
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