私を含め多くの人は、動機の善悪に注目しがちである。
それはおそらく、二つの理由による。
一つは、悪意への恐怖感。多くの人が善意に基づき行動していることで社会が成り立っているので、その原則に従わない者への反発がある。
もう一つは、因果関係を見極めることの難しさ。ある行為が生む影響、波及、反動などはさまざまであり、容易に予測できないことを人は経験的に知っている。それに対し動機は「心情として理解しやすい」側面がある。
だが、動機の善悪だけで物事が解決するはずもない。必要なのは、結果の善し悪しでしかない。
それを認めるのは悲しいことだが、避けることはできない。そも天然自然には善意も悪意もないのだから。
人はそれを受け入れるべきだ、と私は考える。政治家のように、多くの人々に影響を与える立場にあるなら、なおさらだ。
心情の無邪気な吐露に終始し、その影響や受け取られかたをまったく想像していないと思しき事例を見て、あらためてメモ。
その事例には、背景があるだろう。
投稿情報: kaz1 | 2009-10-24 07:09