597年はアウグスティヌス(カンタベリーのアウグスティヌス)がケント王国での布教を国王エゼルベルトによって許可された年。エゼルベルトはアウグスティヌスの到着後、キリスト教に帰依している。アングロサクソン王としてははじめてのことだったとされる。
もっとも、妻ベルタはフランク王国の出身だったから、アウグスティヌスに会う前からキリスト教には触れていただろう。
同年アウグスティヌスはカンタベリー司教に任ぜられ、クリスマスまでにおよそ一万人に洗礼を施した。翌年には教皇グレゴリウス1世によってカンタベリー大司教へと叙階されている。
エゼルベルトはその後、カンタベリーに教会を建立(現在の聖アウグスティヌス修道院)した。その際の敷石は、後にイギリス国教会の基礎とされている。 また「Archbishop of Canterbury」の呼称は、カトリックからイギリス国教会への変化を経ても、イギリスにおける最高位聖職者を指す言葉として残っている(訳語は大司教→大主教)。
大陸からの信仰の渡来とその受容が、イギリスと日本で似たような時期におこなわれているのは少々興味深い。ことに、その後の歴史の相違が大きかったことを考えるとよけいに。
その相違がなにによってもたらされ、なにによって増幅したのか。勉強すべき事ばかりで困ってしまう。
などとぼやきつつ、今日はエリートのミッション1。まあ、一つずつ学んでいくしかないんだよな。やっぱり。
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