- 「重砲だ山砲だ迫撃砲だとこまごま使うから金がかかる。絨毯爆撃でまとめて片付けた方が安上がりだ。」ということなんだよね(たぶんドゥーエあたりが唱えた『戦略爆撃』は比喩として不適切)。
- でも、絨毯爆撃だけで片付く戦争なんてない。部隊の支援としても万能ではない。
絨毯爆撃だけで山ほど金がかかり、同時にこれまでとほぼ同様の支援火力を要するだろう。少なくとも、コスト低減にはならない。
ベーシックインカムも、 不必要な部分にもやたら行き届き、肝心の部分はサポートが行き渡らないという結果に終わるだろう。 - 人の置かれた環境は千差万別、ばりばり働くサラリーマンもいれば、介護なしでは日常生活さえままならない人もいる。「最低限の生活を送るのに十分なお金を全員にあげる」といっても、そもその基準自体が人によって異なるのは当たり前。
- むしろ誘導弾などによる精密攻撃の手法を社会福祉にあてはめることはできないだろうか。
あるいは、前線航空管制員と近接航空支援の組み合わせ事例など役立つかもしれない。
戦術火力支援と最低所得保障とのアナロジーがよく分からないのですが…?
行政のコストと効率のことをおっしゃっているのであれば、最低所得保障制度の主張者の掲げるその長所のひとつは、複数の社会行政部門のオーヴァラップを排除してまさに効率化を図ることにあります。
反論は、彼らと同じ土俵でなされなければ効果がないと思われます。
個人の「基準」と言うのも、まず(流行の)行動経済学的なインセンティヴの議論の中で行うべきものかと愚考するのですが。
また軍事的にも、「精密打撃」がまったくコストの削減につながっておらず、むしろその逆であることは歴史が既に証明しているところです。
かつてグデーリアンやフラーが、少数精鋭の機甲師団の登場が戦費の劇的な節約につながるだろうと信じたのも同じです。産業革命このかた、軍事技術史はひたすらその繰り返しです。
(マクニール『戦争の世界史』、ダニガン『新・戦争のテクノロジー』等を参照)。
投稿情報: ばべる | 2009-11-16 15:06