626年、唐の初代皇帝高祖の跡目を争い、次男の李世民が兄の李建成と弟の李元吉を長安宮廷の玄武門で殺害した。いわゆる玄武門の変である。
これを受け同年、高祖は帝位を李世民に譲る。彼こそが名君と謳われた第二代皇帝、太宗である。
彼の治世にて軍は精強さを増し、歴史書の編纂もすすめ、玄奘三蔵をはるばるインドまで派遣して仏典を持ち帰らせた。民の暮らしも穏やかで豊かとなり、人々は家の戸締まりをしなくなり、旅人も食料を携えなくなった、とまで表現されている。
治世が安定したのはたしかなようだが、やや脚色があるようだ。とはいえ、それはいつの時代も同じか。
などと知ったふうなことをこきながら、今日はTAEBO T3 トランスフォーメーション(エクスプレス)。
わしがくたばった時には、悪名すら残らないのだろうなあ。
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