654年は高向玄理(たかむろのくろまろ)の没年。彼は飛鳥時代の学者で、608年には遣隋使小野妹子とともに大陸へ渡り、およそ30年ほども学んだ後、640年に帰国していた。その後、新羅との交渉に赴くなど、その知識を外交官として活かしていたようだ。
654年には遣唐使に任ぜられて長安まで赴いたが、その地で客死している。
唐の建国が618年、玄武門の変を経て太宗が第二代皇帝となったのは626年だから、それらの変化を大陸で直に経験していたことになる。そこで得た知識は日本にとって貴重だったろう。さらにその力量を活かすべく遣唐使となったのだろうが、道半ばで倒れたのはさぞ無念だったのではないか。
てなことを適当にこきながら、今日はTAEBO T3 アクセラレーション(エクスプレス)。はなっから力量なんてないわしは、ある意味気楽なのかもしれんなあ。
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