664年は玄奘三蔵の没年。
国の禁を破ってインドに渡って仏典を学び、唐に多くの経典を持ち帰った。それら経典を訳すにあたって太宗皇帝より西域の報告書作成が条件とされたため、全十二巻におよび大唐西域記を著した。
その後は般若心経をはじめ、76部もの経典の翻訳に専念したという。
中国という一つの文明の中心地から、あえて別の文明の中心地へと学びに行くというのは、どのような意志に基づいていたのだろうか。信仰と一言で言うのは容易いが、それではあまりにも多くの事柄を取りこぼしているような気がする。
国の禁を破ってインドに渡って仏典を学び、唐に多くの経典を持ち帰った。それら経典を訳すにあたって太宗皇帝より西域の報告書作成が条件とされたため、全十二巻におよび大唐西域記を著した。
その後は般若心経をはじめ、76部もの経典の翻訳に専念したという。
中国という一つの文明の中心地から、あえて別の文明の中心地へと学びに行くというのは、どのような意志に基づいていたのだろうか。信仰と一言で言うのは容易いが、それではあまりにも多くの事柄を取りこぼしているような気がする。
信心の乏しい人間がそんなこと言ってもな、などと自嘲しつつ今日はエリートのミッション1。心身ともにへなちょこですがなにか。
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