カルバラーの戦いで父フサインら一族の多くを失った彼はウマイヤ朝の虜として数年を過ごした後、メディナ(マディーナ)へと帰還した。以後、死までその地で暮らしたとされる。
彼はムハンマドの曾孫にあたり、同時にササン朝帝室の血を引き継いでいたと伝えられる。
ムハンマド云々は正統性の絡みもあるからわかるが、他の血筋がどうとかとでてくるあたりは興味深い。今日もイスラム世界では部族意識が人々のアイデンティティに強く結びついていると聞くが、関連があるのだろうか。
もうちょっと自分で調べろよ、などと自己ツッコミをしつつ、今日はTAEBO T3 アクセラレーション(エクスプレス)。しょせんは根無し草。