732年、メロヴィング朝フランク王国のカール・マルテルはパリより軍勢を率いてトゥールへと向かった。ピレネー山脈を越えたウマイヤ朝の軍勢が、同市へと迫りつつあったのだ。
イスラム軍に先んじてトゥールに入ったフランク軍は南へと針路を変え、ポワティエ方面へと向かう。両市の間に広がる平原で、両軍は対峙した。一週間後、ついにイスラム軍が攻撃を開始した。フランク軍重装歩兵の密集隊形に、イスラム騎兵は突撃を繰り返す。イスラム騎兵はあぶみを装備しており、騎馬のまま安定した姿勢で闘うことができた。度重なる猛攻に、フランク軍は必死に耐える。日没でようやく攻撃が止んだものの、フランク軍は気が気ではなかったろう。
だが意外にも、イスラム軍はその夜のうちに闇と靄に紛れて後退していた。前日の戦いでイスラム軍は指揮官を失っており、それ以上の損害に耐えられなかったのだ。
カール・マルテルの武名はあがり、彼はフランク王国の実権を握る。彼はイスラム流のあぶみと、それを用いる騎兵部隊を採用するが、これが後の封建制へとつながっていく。
彼自身はついにメロヴィング朝の宮宰のまま生涯を終えたが、彼の子、小ピピンがカロリング朝を開く。
イスラム軍に先んじてトゥールに入ったフランク軍は南へと針路を変え、ポワティエ方面へと向かう。両市の間に広がる平原で、両軍は対峙した。一週間後、ついにイスラム軍が攻撃を開始した。フランク軍重装歩兵の密集隊形に、イスラム騎兵は突撃を繰り返す。イスラム騎兵はあぶみを装備しており、騎馬のまま安定した姿勢で闘うことができた。度重なる猛攻に、フランク軍は必死に耐える。日没でようやく攻撃が止んだものの、フランク軍は気が気ではなかったろう。
だが意外にも、イスラム軍はその夜のうちに闇と靄に紛れて後退していた。前日の戦いでイスラム軍は指揮官を失っており、それ以上の損害に耐えられなかったのだ。
カール・マルテルの武名はあがり、彼はフランク王国の実権を握る。彼はイスラム流のあぶみと、それを用いる騎兵部隊を採用するが、これが後の封建制へとつながっていく。
彼自身はついにメロヴィング朝の宮宰のまま生涯を終えたが、彼の子、小ピピンがカロリング朝を開く。
うーん、歴史は架空戦記より偶然に満ちているな、などと思いつつ、今日はTAEBO AMPED入門編とターゲットタエボーの胸&肩。
まあ、個別の事柄はえてして偶然だけど、全体としてはたいてい必然だわな。ワシのズタボロさとかを思い返すと、本当にそう思うわ。
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