788年はアブド・アッラフマーン1世の没年。
彼はベルベル人の母より、ウマイヤ朝の血に生まれた。750年にウマイヤ朝がアッバース朝に滅ぼされると、彼はシリアより脱出し、母の故郷モロッコへと逃れた。母より受け継いだ金髪と緑色の瞳ゆえか、ベルベル人は彼を迎え入れた。
彼は旧臣を糾合し、755年にジブラルタル海峡を越えてイベリア半島へと向かった。翌756年にはコルドバの地に後ウマイヤ朝を再興する。
アッバース朝のマンスールは兵を差し向けるが、アッラフマーン1世は見事これを撃退した。その際、彼はアッバース朝将軍の首を塩漬けにし、マンスールに送りつけている。
また彼は権力安定化を急いで国内の反対勢力を厳しく弾圧したが、それ故にフランク王国カール大帝の介入を招いてしまう。だが778年のサラゴサ攻めでフランク軍を撤退せしめ、国の基盤を固めた。
勇猛果断にして知恵に長けた彼は「クライシュの鷹」との異名を得るほどだった。だが晩年は疑念にとらわれ、宮殿に籠もる日々だったと伝えられている。
これほどの苦難を乗り越え、多くの人々に支えられ、知恵と勇気に恵まれ、大きな実績をなした人物ですら疑心暗鬼を振り払うことができなかったというのは興味深い。
などと上から目線でほざきつつ、今日はターゲットタエボーの二頭筋&三頭筋および脚。
まあ、勝手に人を「悪意」と決めつけるのは避けよう。奪われるほどのものは大して持ってないワシだから、それぐらいでなんとかなるだろ。
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