797年はコンスタンティノス6世の生年。彼は後、父の死によりわずか10歳でイサウリア朝東ローマの皇帝となる。実際には、実母であるエイレーネーが摂政として政治を取り仕切った。
イサウリア朝は聖像破壊運動を推進してきたが、彼女はこれを押しとどめる。だが、成長するにつれコンスタンティノス6世は母に反感を抱き、両者の間に亀裂が生じた。
しかしどういう訳か彼は聖像破壊運動支持派からも信頼を得られず、孤立無援となった。あげくに、ブルガリア帝国との戦いで怖じ気づいて逃走するといった大失態を演じる。
失脚した彼を生母エイレーネーは見捨て、なんとその目をくり抜いて追放してしまった。その後、彼女は自ら女帝として君臨するのだが、さすがに人心は離れ、さらに無理な減税政策もあってイサウリア朝を崩壊へと導く結果となった。
さんざん傀儡として利用されたあげくに光を失い放逐されたコンスタンティノス6世の心境はいかばかりであったろうか。ただひたすらに憎しみを募らせたか、それとも己の無力さを嘆いたか。
まー、スカタンぶりじゃわしも負けていないのだが、などと偉そうに言いつつ、今日はTAEBO T3 トランスフォーメーション(エクスプレス)。
これだけ生きていると失った物も多いが、まあ嘆いたり悔やんだりしていてもしょうがないわな。やれることをちまちまでもやるべし。
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