822年、唐の使者が吐蕃のラサを訪れた。吐蕃は長らく西域の覇権を巡り唐と争ってきたが、前年の821年に使者を長安に送っている。
吐蕃の大臣らと唐の使者が調整を重ね、翌823年には唐蕃会盟碑を建立、和解を記録している。同碑文では相互国境不可侵などが強調されており、双方に上下関係を示さない表現が使われているという。
吐蕃はその後滅亡し、現在のいわゆるチベットとイコールという訳ではないが、民族的には間違いなく結びつきがあろう。つまり、少なくともこの時代まではチベットは中国の一部ではなかったということだ。
まあダブルスタンダードはありがちなことだからな、などと思いつつ今日はTAEBO T3 アクセラレーション(エクスプレス)。
わしも自らに与えた課題はちゃんとこなしていかないとなあ。
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