866年の4月、突如応天門が燃え上がった。不審火による焼失に朝廷は驚き、加持祈祷を繰り返す。
時の大納言伴善男は火災を、左大臣である源信による放火によるものと告発した。
兵は源信の屋敷を取り囲んだが、太政大臣藤原良房が清和天皇に上奏する。天皇は源信は無実と判断し、兵を退かせた。
代わりに、犯人として告発されたのはなんと伴善男とその息子だった。天皇は勅を発し、彼らを捕らえる。厳しい尋問を受けながら伴善男らは無罪を主張し続けるが、朝廷は彼らを真犯人と断じた。
本来死罪となるところだったが、伴善男が毎年、仁明天皇の法要に勤しんでいたことから罪一等が減じられ、流罪となった。
古代よりの名家である大伴氏はこれをもって没落し、代わって藤原氏が勢力を拡大する。これら一連の事件は、応天門の変と呼ばれている。
まー、エライ人は大変だね。などとのんきにほざきながら、今日もWiiでエンジョイダイエット。そういえばわしはまだバランスWiiボードを導入していないが、それもエクササイズに使えるらしい。動きのバリエーションを増やすためにも導入すべきか?
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