コンベア880はアメリカのジェット旅客機。なお、当時コンベアはジェネラル・ダイナミックス社の一部門だった。
1954年、コンベアはモデル18と呼ばれる4発大型ジェット旅客機構想を打ち出していた。大富豪ハワード・ヒューズが取り仕切っていたトランスワールド航空(TWA) はジェット化に遅れを取っており、この案に興味を示した。
さっそく30機が発注されたが、コンベアはボーイング707などとの競合を警戒する。ここでやや胴体を細めの中型機へと方針が変更されモデル22と呼称されるようになった。
特徴的なのはエンジンで、F-4などに採用されたJ-79の民間用モデルCJ-805-3を採用した。空気抵抗軽減策などもあり、707やDC-8よりも高速を達成したが、商業的には差別化要因にならない程度の差だった。
しかし、ハワード・ヒューズの意見に引きずられる形で使用は再三変更され、その結果開発に時間がかかった。さらに、J-79ベースのエンジンという事で軍事機密規定解除にも時間をとられ、市場は707やDC-8に多くを占められてしまった。
さらに、軍用エンジンから転用されたエンジンは騒音や黒煙などで悪評を呼ぶ。民生型への転換で信頼性にも問題が生じたようだ。
低空での操縦性にも難があり、その事故損耗率は高かった。
こうして、コンベア880の生産数はわずか65機に留まった。
だが、日本では「初の国内線ジェット化」に携わるなど貢献も有り、短期間ながら多くの乗客に親しまれたようだ。
あれこれエライ人に言われるとつらいよなあ、などと知った風なことをほざきながら、今日はターゲットタエボーの胸&肩、背中、腹筋。
エクササイズ中、パンツがやぶれた。事故率高し。
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