962年は北宋の政治家、王欽若の生年。江南の出身だった。
隣国である遼が軍を南下させてきた際、彼は南京への遷都を提言した。だが宰相である寇準は徹底抗戦を唱え、皇帝である真宗に親征を求めた。真宗はこれを容れ、聖宗率いる遼の軍勢と対峙、戦況は停滞した。
寇準は反対したが、真宗は絹や銀を遼に与えることにより遼との和議を達成した。これは、西夏との軍事的緊張に配慮したが故とされる。
自らの献策を袖にされて面目を失った王欽若は、その矛先を寇準に向ける。遼との和議は屈辱的な「城下の盟」である、と攻撃したのだ。これにより寇準は失脚する。
北宋では経済的には南人が優位であったにも関わらず政治的には恵まれなかった時代が続いてきたようで、先の対立も華北出身の寇準と江南出身の王欽若故であった、との見方もあるようだ。
まあ同じ組織内でも出自によってずいぶん対立があったりするよなあ…あ、一般論です、一般論。などと適当な事をこきながら今日はエリートのミッション1。
ほんと一般論ですよ、ほんと。
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