976年は趙匡胤の没年。北宋の初代皇帝である。
彼は文治を重んじ、秩序に関する勅を幾度も発するなど道徳を尊ぶ姿勢を取ったことで知られる。また、質素を尊び、統治者としての責任についても強く意識しており、それ故に後世でも高く評価されている。
だが彼は弟の太宗と二人のみ同席していた際に急死する。趙匡胤が鯨飲を好んだ事から「単に脳溢血」とする説もあるが、太宗による暗殺説も当時から語られていたらしい。趙匡胤には子等もあったのに太宗が後継となったことも、この暗殺説を補強したようだ。
まあ、情況証拠による疑いを滅するのは難しいよね、などといい加減なことを考えながら今日はエリートのミッション1。わしもいろいろ疑ってばかりだしなあ。他人も自分も。
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