30年前のアメリカ映画。カーター政権末期の作品だ。
トラボルタ演じるバドは田舎からヒューストンに出てきて、叔父のコネで工場(石油系のコンビナート?)に就職。
ホンキートンクバー(?)「ギリーズ」で知り合ったシシーとすぐに結婚(2時間超の映画映画で30分ごろ)。ローンでトレーラーハウスを買う。シシーは自動車解体業者(?)の娘でボロ車に乗っており、バドは当然ピックアップトラックだ。
「ギリーズ」には工場の連中が毎日のように遊びに来る。そこにパンチングマシンとロデオマシンが入り、バドたちはロデオマシンにはまる。
バドはシシーがロデオをするのを嫌がり、シシーは隠れて「ギリーズ」に通う。シシーはムショ帰りの男ウエスと親しくなり、怒ったバドは実業家の娘パムと浮気。
二人は事実上の別居状態に。
バドはロデオで腕の骨を折り、仕事もクビになる。叔父がかつてロデオ(本物の方)の名手だったので、治療も半ばからロデオの特訓を受ける。「ギリーズ」のロデオ大会でウエスとシシーを見返すつもりだ。
怪我が治り復職したバドだが、叔父は落雷事故から死亡。一方、ウエスはシシーにDV連発。今度は彼が職を失い、ロデオ大会で金を儲けてメキシコへ行こうと企てる。
叔父から託されたバックルをつけ、バドはロデオ大会に参加。接戦を制し、見事優勝する。ウエスはシシーにまたしてもDVを連発しつつ、「ギリーズ」の売り上げを強奪して逃げようとする。
一方、バドはパムからシシーの本心を聞き、シシーの元へと走る。シシーの殴られた跡を見て、バドは激高。戻ってきたウエスをぼこ殴りにしてやっつける。ウエスはそのまましょっ引かれ、バドとシシーはトレーラーハウスに向けピックアップを走らせる。
いやー、これほど感情移入できない映画もまれだ。
だが、興味深い点もあった。
バドの叔父であるボブは事故に遭う直前、不意に「高慢は<七つの大罪>の一つだ」と言い、バドを諭す。言葉にはしないが、シシーを捨てパムに走ったことを暗に批判したのだ。直後に落雷事故が起き、バドは火災の中に倒れるボブを救えなかった。
この映画で信仰について触れられるのは、冒頭、朝帰りのバドについて叔母が「教会に行っている」と言ってごまかすシーンと、ここのみである。
おそらく、今後もバドとシシーは行き違いを繰り返すだろう。DVもまたあるだろう(実際、劇中でバドはシシーの頬を叩いている)。浮気もそれぞれにあるかもしれない。郊外に住宅をかまえることもできず、トレーラーハウス暮らしが続くに違いない。だがそれでも、信仰は彼らのうちに有り続けるのだろう。それだけが彼らとウエスとの違いだ。
映画からは、そんなメッセージがうかがえる。
レーガン政権の誕生前夜…保守復興の時代の映画、ということなのだろうか。アメリカ保守主義や宗教右派について考える一助となるかもしれない…まあ、オレは二度と見ないけどな!