昨日は松阪の岡寺山にて厄落とし。松阪は奥さんの実家なので、あわせて家族サービス。
昼食は一升びん本店にて焼肉。中部地区の方はご存じだろうが、一升びんはぬるいCMで知られる焼肉チェーン。だが、本店はえらくトラディショナルな焼肉屋だった。おまけに、店主と覚しきおっさんが熱っぽく松阪牛について語ってくれる。どうもチェーン展開やらなんやらはまた別の人が進めているみたいだなー。それもまたそれでドラマ。
カルビやらホルモンなども旨かったが、テール焼(しっぽの薄い輪切り)やコリコリ(動脈)といった珍しい部材も良かった。
その後、奥さんと松阪の古い町並みを散策。町というのは、これぐらいの規模が良いのかもしれない。ただ、いわゆるファースト風土化も進んでいるのはたしかだ。憂慮すべき状況だろう。
夜は義母が作ってくれたサラダと煮物、かんぱちをいただく。
あくる朝はブランパンで買ってきたパンを食べる。だらだらと休日の朝を楽しんだ後、不二家にて五目やきそば。独特の固やきそばで、さくさく感と和風だしのマッチが美味。
地元の野菜を買って帰ろうとすると、義母がなんと和田金の牛肉を持たせてくれる。サービスするどころかむしろサービスされまくったかたちとなり、ただ恐縮するばかり。
なんともありがたいことだ。
すっかりご無沙汰しております。
松坂は伊勢参りの折に通過したことがあるだけですが、駅弁「牛肉弁当」は噂に違わず美味でした。
>町というのは、これぐらいの規模が良いのかもしれない。
蒲生氏郷が長生きしていれば、あるいは仙台のような街になっていたかも知れませんね。
投稿情報: ばべる | 2007-03-05 20:43
>あるいは仙台のような
そのときは、環伊勢湾経済圏のあり方もまた異なる様相を示していたかもしれませんね。
関西や関東と違い、東海地区は名古屋に一極集中する傾向があるようで、ちと残念ではあります。
投稿情報: Hi-Low-Mix | 2007-03-06 21:21
訂正:「蒲生氏郷が移封されず、かつ長生きしていれば」ですね
しかし冷静に考えてみれば、氏郷本人も言っているように、地理的にクリティカルな位置にある松坂が来るべき動乱に巻き込まれないでいることは難しいし、またうまく生き延びられたとしても、やはりクリティカルな位置にあるゆえに徳川氏がいつまでも外様の大大名にここを任せておくはずはありません。
つまり氏郷が十分に長生きしたとしても、彼が松坂の開発を完了するまでここにおられたかどうかは非常に難しいところですね。
投稿情報: ばべる | 2007-03-07 23:16