PBM(と言ってわからない人は以下を読む必要はないと思われます)のマスタリングにはいろいろなスタイルがある。そのいずれにもそれなりの理由があり、良い点も悪い点もある。
かつてPBMのマスターだった者として、自分がかつてどのようなスタイルで行っていたかをメモしておく。
- プレイヤーキャラクターはプレイヤーではない。
よって、プレイヤーのアクションどおりにプレイヤーキャラクターが動くとは限らない。
したがって、アクションにミスがあったとしてもプレイヤーキャラクターもミスをするとは限らない。
多くの場合プレイヤーキャラクターはなんらかの技能を有するプロフェッショナルなのだから、素人であるプレイヤーのようなミスからは縁遠いはずだ。 - マスター最大の義務は「プレイヤーキャラクターに美しい生き様を与えること」である。
ただし、なにが「美しい生き様」かを判断するのはあくまでマスターである。これは権利ではなく、義務である。
よって、趣味にあわないアクションをコケさせるのは正しい。
無論、ただボツにするよりも美しくコケさせるほうが望ましいのは言うまでもない。 - ジャッジ(判定)は常に正しい。
しかし、どのジャッジを正とするかを判断するのはマスターである。
世界の整合性(公平さを含む)さえ維持できるのであれば、マスターはいかなるジャッジを選択しても良い。 - 世界を形作るのはプレイヤーキャラクターである。
彼らと彼女らに敬意を向け続けなければ、マスターは決して整合性も美しさも構築することができない。 - 整合性と美しさこそがプレイヤーを誘導する。
プレイヤーが自らのプレイヤーキャラクターが為すべき役割を感じ取れさえすれば、アクションは自ずと世界を構築してくれる。
それ以外の手法(ルールだとか、ネタばらしだとか)はプレイヤーとプレイヤーキャラクターを乖離させるおそれがある。
プレイヤーキャラクターを駒あつかいするようなアクションを求めるべきではないし、むしろ軽蔑して良い。
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