個人的印象に基づく話。
ここ数年、手帳(システム手帳を含む)を中心とした文具に対する関心が高まっている。ノートのとりかただの付箋の使い方だの、「なんとかハック」とか言って紹介されない日はない。
それと反比例するかのように、情報共有に対する機運は低下しているように思える。
かつては、「組織内の暗黙知を共有化し、レベルアップを図ろう」と声高に叫ばれていたが、昨今はあまりその手の話を聞かない。
グループウェアはその旗印だったが、最近では単なるスケジューラとして扱われているようだ。
また、一世を風靡したPDAは共有化された情報を携帯するには最適のツールだった。グループウェアなど組織内サーバやPCとの連携が、その最も優れた特長だったからだ。だがいまや、その利点に目を向ける者は少ない。
おそらくこの基調には、組織におけるセキュリティ重視の流れがあるだろう。組織内の情報をなるべく持ち出させないという方針が、今日一般的だ。
だが、さらにその流れを加速させているものがあるのではないか。
それは、組織全体としてのレベルアップより個人の地位向上(または維持)に重きを置く、価値観の変化のように思える。
組織全体に貢献しても、自らの地位が相対的に後退するのでは意味がない。知識を公開することによって同僚などを利するより、知識を囲い込むことによって己の商品価値を高めたい。そんな意識が、人々の中にあるのではないか。
雇用する側としては、この流れはマイナスかもしれない。だが、情報共有を従業員に押し付けるだけの強制力を、組織は失っているのだろう。なにしろリストラだ非正規雇用だと、従業員を切り捨てる動きばかりが続いているのだから。
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