724年、現在の宮城県にて軍事拠点が建設された。それは多賀城と呼ばれ、現在も痕跡とその名を残している。多賀城は蛮族とみなされていた蝦夷との勢力境界に設けられ、その制圧を目的とした。
時の朝廷は律令制度に基づく支配を強化すべく努めており、多賀城は辺境におけるそのバックボーンだったと言えよう。
時の朝廷は律令制度に基づく支配を強化すべく努めており、多賀城は辺境におけるそのバックボーンだったと言えよう。
などと知ったかぶったことをほざきつつ、今日はTAEBO AMPED入門編。境界線上にあるからこそ、ふんばらにゃならんこともあるわけで。
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