天山山脈に源流を発するタラス河。751年、その河畔で二つの軍が衝突した。
一つは、西域(現在の新疆)より遠く中央アジアへと進出した唐の将軍、高仙芝の軍。もう一つは、前年に成立したばかりのアッバース朝の、ホラーサーン(現在のイラン東部)ズィヤード・イブン=サリーフの軍。アッバース朝は、石国(現在のタシケント)が唐の進攻を受けて要請したため、ズィヤードの軍を差し向けたのだった。
二つの異なる文明を担う軍は激しくぶつかったが、勝敗を決めたのは唐についていたテュルク系遊牧民カルルクの軍勢だった。彼等は戦いの最中に唐を裏切り、アッバース朝側に寝返った。幸い高仙芝将軍はなんとか脱出できたが、その軍の生存者はわずか数千人だったという。
この戦いを機に、中央アジアへの唐の影響力は低下し、代わってイスラム勢力が進出していった。また、唐の捕虜には製紙職人が含まれていた。イスラム世界はこの時初めて製紙技術を手に入れたのだった。
中央アジアへのイスラム浸透がなければ今日の東トルキスタン独立運動もなかったろう。イスラム世界への紙の伝搬が遅れていれば、ヨーロッパへのギリシャ・ローマ文化の環流もより小規模となり、ひょっとするとルネサンスすら知られている形ではなかったかもしれない。とまあ、知りもしないことででかいことを言いつつ、今日はTAEBO T3 トランスフォーメーション(エクスプレス)。
まったく、歴史ってのはごく常識的かと思うと、ひどく奇妙な側面を見せたりするもんだ。